今日は、3・11の日ですね。

 今日で、13年になりました。
 13年前のあの日 私は、当時の勤め先の0歳児クラスの担当で、もうすぐ午睡から目覚めてくる子どもたちとのおやつの準備を始めようとしていました。
 記入を終えた連絡帳を保護者の方々が取り出すためのかごに収めようとロッカーの所へ歩み寄っていった時に(あれ?)立ち眩みでもしているのかな…?といった感覚になりました。しかし(感覚的に)1分ほどたっても足元が落ち着かないので、同じクラスの職員の方を振り返ると…
 「地震?」とお互いがほぼ同時に言葉にして、入口窓の近くにいた私は、とっさに避難口確保のため引き戸を全開にしました。
 同僚は、すぐさま子どもたちのいる布団付近に…まだパジャマのままの姿だったので、毛布と共に避難車に子どもたちを乗せて…と動いたことを今でもはっきり思い出します。

 津波の映像が流れるたび、逃げる人々の姿が映されるたび現場の方々の心情を思い、いつ身近なところで起きてもおかしくないと言われ続けている東海地震が来るのでは…?と危惧し、出来うる対策を講じたり、被災者の保育園での体験を知る機会を持つ・絵本などの教材調達の協力活動に参加させていただいたりしました。

 「阪神淡路」の時には、高速道路が倒壊したりとものすごい被害が出たものの、復興するまでの期間がかなり短時間で驚かされたのですが、東北の時には、仮設住宅からの自立までがかなり長く時間もかかり、加えて、原発も関わることによって、今後何年も先までの影響を危惧しなければならない不安も伴ったり、逆に風評被害が大きかったり…と復興までの道のりの遠さに自然の驚異のみならず、政治力の大きさ・違いの結果なのでは…?と感じられるところも…と感じたものでした。
 地元の方々の、懸命な努力によって復興への兆し…を感じるたびに、地域差も感じられる気がしたのは私だけではないはずです。

 正月に起きた能登の震災は、更に皆さんの記憶にも新しく、発生から2か月たった現在でも水道の復旧もまだの所が沢山あるそうです。

 ライフラインの確保もままならない生活が続く日々…もっと現地の方々の要望に即したフォローが速やかに出来るためにはどうあっていったらよいのか…私たちにできうることは何があるのか…。
真剣に考え備えていきたいと思います。

 一日も早い日常が戻りますように…。子どもたちが安心していっぱい遊び、笑顔溢れる日々が続きますように。(写真は、お別れ遠足の一コマです)


今日は、3・11の日ですね。


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今日は、3・11の日ですね。
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